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ねことパンの日々

ねことパンの日々

「ねこまんま」と私


「ねこまんま」と私

 我が家には、一匹の猫が居る。
 二代目である。名をマルコという。
 初代猫の権之助とは、十七年連れ添った。貧乏な学生時代、仕事に明け暮れた廿代を経て、ようやく生活にゆとりが出来てきた頃、彼はもう老境に入っていた。のんびりとした彼との生活を、もう少し楽しみたかったと、今でも思う。
 長く共に生活した彼との思い出は尽きない。特に、生活に苦労していた頃には、文字通り「同じ釜の飯を食った」ことが思い出される。
 所謂「ねこまんま」である。

 「ねこまんま」には、地方によってさまざまな種類があるそうだが、概ね西日本は味噌汁などの汁物を飯にかけたもの、東日本は鰹節を混ぜたものとなるらしい。私の実家は北海道だが、何故か朝の汁物を飯にかけたものを「ねこまんま」と呼んでいた。もっとも、猫がいたわけではなく、朝の残り物を母が昼飯時に食べる際、よくそうして食べていたこと、そしてその飯をそう呼んでいたのを憶えているのである。
 茶色くふやけたワカメや、煮込まれて固くなった豆腐などが、子供の頃の私はたいそう好きで、風邪で学校を休んだ日には、母が私のために拵えたおかゆよりも、母の食べる「ねこまんま」を欲しがったものである。ただ、その時の私は、猫が嫌いだった。俊敏で隙のない動作、次の瞬間予測できない挙動に出るあのトリッキーさに、少しばかりの怖れを抱いていたせいらしい。
 そんな私が一人暮らしを始めて、ひょんなことから猫がやってきたとき、果たして何を食わせればよいのか、さっぱり判らなかった。とりあえず安物のキャットフードを買い与えたものの、金がなくなると、彼=権之助は、しばしば「ねこまんま」を食わされる羽目になった。
 この場合の「ねこまんま」は、鰹節を飯にかけ、醤油をたらして混ぜ込んだものである。実家のそれとは違うので、恐らくは、テレビか雑誌かで見たものであったろう。そして、言うまでもなく、それは私の食事そのものでもあったのだ。

 本来、猫はネズミなどの小動物を捕食するため、炭水化物によるエネルギー摂取を主としないと云われているので、「ねこまんま」は身体には寧ろ良くない代物のようである。古来日本で猫に残飯を与えていても支障がなかったのは、多くの猫が放し飼いで、家の周辺でネズミを捕り、足りない栄養を補給できたためであろう。
 そんなことを知る由もない当時の私は、彼の飯に、鰹節を少し多めに混ぜてやることでしか、飼い主としての義務感を満たすことができなかった。それでも彼は、不平も言わず(当たり前だが)、もぐもぐと「ねこまんま」を食していた。そして、空腹が満たされた後、彼はきまって、私の膝の上でとぐろを巻いて、時々鼾をかきながら眠るのであった。

ひさびさのゴン先生

 「ねこまんま」が猫にとって好ましくないもう一つの理由は、汁物を飯にかけて作る場合、猫にとって危険な食物が含まれる可能性が非常に高いことである。特にネギ類は最も危険で、加熱調理したものであっても、ネギの一欠片、或いはそれが入った汁だけであっても、溶血性貧血を引き起こして死に至ることがあるそうだ。あまり猫についての知識がなかった私も、これだけは知っていて、彼が間違って口に入れてしまわないよう、気を配ったものである。そのほか、「食べると腰を抜かす」といわれるイカ・タコ類も、彼が食べないように気をつけていた。

 休みをろくに取らない仕事人間だった頃のある日、私が帰宅すると、彼は炬燵布団の上で、ぐうぐうと唸りながら横たわっていた。急いで動物病院に連れて行くと、どうやら生のイカを食べたために消化不良を起こしていたらしい。
 恐らく、近所のオバサン達に愛想を振りまいて、ご相伴に与ったのであろう。彼の食い意地に些か呆れながらも、苦しんでぐうぐうと唸る彼の背中を、一睡もせず、夜通し撫でてやった。その甲斐あってか、翌日にはすやすやと眠れるほどに、彼は回復した。
 翌日、私は仕事を休み、彼の様子を看ることにした。獣医の言いつけどおり、彼は丸一日食事抜きだった。夕方、回復後初めての食事は消化にいいものが良かろうと思い、キャットフードを微温湯でふやかしたものを与えてみたが、一瞬臭いをかいだだけで、その後は見向きもしない。どうしたものかと思案した結果、私は久し振りに「ねこまんま」を与えてみることにした。
 朝の残り飯を少量の水でふやかし、鍋で少し煮る。それをさましたものに、たっぷりの鰹節をかけ、よく混ぜて与えた。彼は我が意を得たりといった表情をこちらに向けた後、夢中で食べ始めた。
 猫にも、思い出の味とやらがあるのだろうか。もしあるのだとして、それが彼の食欲をかきたててくれるのなら、それは誠にありがたいものだと、小刻みに動く彼の後頭部を眺めながら、思ったものである。
 その後、彼に「ねこまんま」を与えた記憶はない。再び、昔の記憶に頼って食欲をかきたてさせる必要に迫られたとき、彼はあまりにも年をとりすぎていた。

ひさびさのゴン先生2

 さて、二代目猫のマルコは、まだ「ねこまんま」の味を知らない。牛乳やヨーグルトには興味を示すくせに、鰹節や焼き魚、ちりめんじゃこなどの、初代猫の大好物には目もくれない。これも個性かと納得しているし、今更健康に悪そうなものを与える必要もあるまいと思っている。
 それに、「ねこまんま」の記憶は、苦労を共にした初代猫の特権のようなものだと思う。二代目には二代目なりの、新しい「まんま」の記憶が、きっと形作られるに違いないのだ。







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